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2018年 あけましておめでとうございます [韓国の随筆]

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弐番館をオープンして初めて迎えるお正月です。
マイペースな不定期更新ですが、今年もどうぞよろしくお願いいたします。

今年最初の記事は、昨年から韓国語のテキストとして勉強中の皮千得(ピ・チョンドゥク)の随筆集「因縁」から「新年」を私のつたない日本語訳でご紹介いたします。皮千得氏は韓国では知らない人はいない位とても有名な作家で、この方の文章が好きだという人もたくさんいるそうです。私は勉強を始めてまだそれほど経っていませんが、それでも短い文章の中に宝石のように煌めいている言葉が散りばめられているなという印象を受けます。

難しい言葉や表現が多く果たしてこの解釈でいいのだろうか?という部分もありますが、「新年」は1月になったばかりの今この時期にぴったりの文です。年末に大掃除やおせちに年賀状など迎春準備をしながら、昨日から今日へ一日が過ぎるだけなのに、どうして12月31日から1月1日だけはこんなに特別なのだろう?などと思いながら、ずっとこの文を思い出していました。文の最後にある通り、私も新しい一年は笑顔で過ごすよう努力しようと思います。
 
 
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新春   ~皮千得「因縁」より~

1月は気温でみると確かに冬の寒さの峠だ。シェリーの「冬来たりなば...」という句をもじって「冬深ければ、春遠からじ」という話をしていたら、新聞社からはもう「新春に寄せて」というタイトルを送ってきた。

1月になると新春が来るのだ。午前0時を過ぎると空が真っ暗でも日付が変わるのと同様、気候がいくら寒くても1月は春だ。暖かい4月、5月をどうするのかと?春は5か月でもいい。韓国の春は短い方だが、1月から5月までを春と呼んでもよい。

春は新しい。朝のように新しい。新年は鏡を覗く時や人を眺める時、常に笑顔になる。

この前間違い電話がかかってきた。ふいに聞こえるウグイスのような声だった。そして「すみません」という新鮮な笑い声は私に突然の春を感じさせた。私はこの名も知らぬ女性に感謝の念を抱く。ある男子学生が女学生にもらったクリスマスカードをのぞき込んで喜ぶのを見て、私が女性だったら懐の許す限り、自分の知り合いの男子学生にクリスマスカードを送るだろうと思った。私がもし明るい声を持つ女性として生まれたのなら、ラジオのアナウンサーになって多くのリスナーにいつも春を感じさせるだろう。人生は小さな縁で美しい

多くの小説の主人公たちが性格破綻者だからといって、あるいは新聞の三面記事に恐ろしい事件が載っているからといって、私はそれほど気落ちしない。我々のほとんどが健全だから、そういうことが小説のネタになり、記事のネタになるのだ。世の中には悪い人が多い。しかし良い人はもっと多い。早朝の貞洞通りは頬の赤い子供たちと白い襟の女学生たちで一杯だ。あの子たちは人が尊いものであることを学びに行く。

春になると老木にも鮮やかな花が咲く。「悲しいことをたくさん見て、大きな苦労をしても」私は若かった時よりむしろセンチメンタルでない。ヴァイオリンの音色よりピアノの音色がより好きになったし、病んだバラよりは瑞々しい野生のユリを、神秘的なモナリザよりは、裸足で橋の飛び石を渡っていく田舎の娘を好ましく思うようになった。「11月のある土曜日の午後は黄昏になりつつあった。」という小説の背景が好きだった私は、「彼らは早朝、ヴァイオレットまたは薄桃色の夜明けの中で出会った。ここでは早くから、そんな早くから起きる必要があったからだ。」という時間的背景を好むようになった。

新年になると人々は禁煙をするとか、妻にもう少し優しくするなど、あらゆる実行困難な決心をよくする。

鏡をのぞくときや、人を見つめる時、いつも笑顔でいようという私の決心は、たぶん可能だろう。

~皮千得 「因縁」より「新春」~

(日本語訳:花かんざし)


原文↓

신춘 新春

1월은 기온으로 보면 확실히 겨울의 한고비다. 쉘리의 ‘겨울이 오면…’이라는 구절을 바꾸어 “겨울이 짙었으니 봄이 그리 멀겠는가?” 이런 말을 해 보았더니, 신문사에서는 벌써 ‘신춘에 붙여서’라는 글제를 보내왔다.

1월이 되면 새봄은 온 것이다. 자정이 넘으면 날이 캄캄해도 새벽이 된 거와 같이, 날씨가 아무리 추워도 1월은 봄이다. 따듯한 4월, 5월을 어떻게 하느냐고? 봄은 다섯 달이라도 좋다. 우리나라의 봄은 짧은 편이지만, 1월부터 5월까지를 봄이라고 불러도 좋다.

봄은 새롭다. 아침같이 새롭다. 새해에는 거울을 들여다볼 때나 사람을 바라다볼 때 늘 웃는 낯을 하겠다.

얼마 전에 잘못 걸려온 전화를 받았다. 문득 들리는 꾀꼬리 같은 목소리였다. 그리고 “미안합니다” 하는 신선한 웃음소리는 나에게 갑자기 봄을 느끼게 하였다. 나는 이 이름 모를 여자에게 감사의 뜻을 갖는다. 어떤 남학생이 여학생한테서 받은 크리스마스 카드를 들여다보고 좋아하는 것을 보고, 내가 여자라면 경제가 허락하는 한 내가 아는 남학생에게 크리스마스 카드를 보내겠다고 생각하였다. 내가 만약 명랑한 목소리를 가진 여성으로 태어났다면, 라디오 아나운서가 되어 여러 청취자들에게 언제나 봄을 느끼게 하겠다. 인생은 인연들로 아름답다.

많은 소설의 주인공들이 성격 파산자들이라 하여, 또는 신문 3면에는 무서운 사건들이 실린다 하여 나는 너무 상심하지 않는다. 우리들의 대부분이 건전하기 때문에 그런 것들이 소설감이 되고 기사 거리가 되는 것이다. 세상에는 나쁜 사람이 많다. 그러나 좋은 사람이 더 많다. 이른 아침 정동 거리에는 뺨이 붉은 어린아이들과 하얀 칼라를 한 여학생들로 가득 찬다. 그들은 사람이 귀중하다는 것을 배우러 간다.

봄이 되면 고목에도 찬란한 꽃이 핀다. ‘슬픈 일을 많이 보고, 큰 고생 하여도’ 나는 젊었을 때보다 오히려 센티멘탈하지 않다. 바이올린 소리보다 피아노 소리를 더 좋아하게 되었고, 병든 장미보다는 싱싱한 야생 백합을, 신비스러운 모나리자보다는 맨발로 징검다리를 건너가는 시골 처녀를 대견하게 여기게 되었다. “11월 어느 토요일 오후는 황혼이 되어 가고 있었다”라는 소설 배경을 좋아하던 나는, “그들은 이른 아침, 바이올렛빛 또는 분홍빛 새벽 속에서 만났다. 여기에서는 일찍이 그렇게 일찍이 일어나야 되었기 때문이었다”라는 시간적 배경을 좋아하게 되었다.

새해가 되면 사람들은 담배를 끊어 보겠다는 등, 아내에게 좀더 친절하게 하여 주겠다는 등 별별 실행하기 어려운 결심을 곧잘 한다.

거울을 들여다볼 때나, 사람을 바라다볼 때나 늘 웃는 낯을 하겠다는 나의 결심은 아마 가능할 것이다.

― 피천득 <인연> ―



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クラムチャウダー

明けましておめでとうございます。
(少し遅ればせながらですが…)

新年の随筆の翻訳、心に沁みます。
どうもありがとうございます。

年末年始に久し振りにカラオケに行きHappy Songを(韓国語わからないながらも)熱唱しました。NORAZOに似たバンドがあるようでないのが寂しいですが、花かんざしさんのブログで二人がそれぞれの道で頑張っているのを見ることができるのは幸せです。本当にありがとうございます。歌謡の神様が二人に微笑み続ける一年でありますように。
by クラムチャウダー (2018-01-08 11:02) 

花かんざし

クラムチャウダーさん、あけましておめでとうございます^^
そしてコメントありがとうございます♪
今年もどうぞよろしくお願いいたします~~

ピ・チョンドゥク氏の随筆は読めば読むほど味わいが深くなってくるようです~
繊細な感性で物事を見つめる視線で書かれた文はどれも新しい発見があります^^

NORAZOの楽曲はカラオケで盛り上がりますよね~^^
韓国語分からなくてもテンポやリズム、歌詞の語感がいいので皆ノリノリになって♪

それぞれの道を歩む二人がいつも笑顔をみせてくれるような、そして私たちもこの二人の音楽を聴いて笑顔でいられるような一年になるといいですね^^
by 花かんざし (2018-01-08 12:25) 

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